Do you try?

行為に対する執着  No.69
今回はアーユルヴェーダに流れる、インドの考え方を書きましょうか。

東洋の聖書といわれるバガヴァッド・ギーターでは「有益な行為」こそが、自分を高める最高の手段だといいます。


「有益な行為」とは。勉強すること、仕事をすること、ボランティアをすること、祈りを行うこと、食事をすること、何かを行うこと。人などに危害を与えないすべてことをさします。(物理的にも精神的にも危害を与えることは無益な行為)

ただし、結果や見返りを期待する行為は認められません。
自分が行いたいから。ただそれだけ。この理由だけが認められます。

ここまでやったんだから、お返しを頂戴。
こんなにつくしてるんだから、優しくして。
これだけ勉強すれば、認めてもらえる。
など。これらはあきらかに見返りや結果に執着していますね。

私たちセラピストが施術を行うときでもそうです。
「少しでも楽になって帰っていただきたい。」それだけを純粋に思うのならいいのですが、「(施術が)上手ですね。」とか、「すごく良くなりました!あなたはカミサマのようだ!」とか言われることを期待して行う施術は、必ずといっていいほど、思うようにできなかったり、最悪失敗します。

自分が行ったことに対して必ず見返りや結果を期待して、思い通りのものが得られなかったとなると、悲嘆して、恨んで、嫌になってしまいます。
そうすると、自分は苦労して行ったうえに、さらに苦しみを新たに生み出すことになります。

なので、結果に執着をしない。純粋な心で行った行為は、結果としてすぐには現れないけれど、そのうちに何かの形で良い結果としてまわってきます。

神を愛し、全ての生命の中に神を見て、神に奉仕する生涯だったマザー・テレサが、「マザー」とよばれるようになったのも、行為に執着しない心を持っていたためです。彼女は、「マザー」と呼ばれたいために行為を行ったわけではありません。ただただ神に奉仕したかっただけなのです。
2005/09/21

No. PASS


内容の無断転載はなさらぬようお願いいたします
[TOP]
shiromuku(e3)DIARY version 1.20